NOTE 01

 こだわり大事に考えている事

 
日本画の絵具というのは大変美しいものです。

一般に日本の伝統的絵画は鉱物を砕いて粒状にした絵具(岩絵具)を膠液と練り合わせ、適量の水を加え彩色しています。 膠を接着剤として画面に絵具を定着させてゆく事から油画・アクリル画のように膠画と分類されたりします。

天然の顔料は半貴石をその原料とし大変高価でもあり、そして膠は気温・気候によってその扱いが変わり慣れなければ非常にあつかい難い材料とも言えます。  ただ、扱い難いと同時に岩絵具でしか出せない魅力も多く、慣れてしまえば深い愛情さえこの材料に感じることが出来ます。

たとえば時間によって刻々と表情を変える光、それにともない岩絵具の彩色もその表情を変えていきます。  ある時間帯では夕暮れ時に花がぼんやりと浮き立って見えるように、絵具自体が発光しているかのような一種神秘的な表情を見せることもあります。

また、その名前の指す通り天然の素材ですので非常に耐久性に優れています。 お寺の仕事をさせてもらっている時などは、私の一生よりもずっと長い時間をこの絵は過ごすのだなという事をよく考えます。  その長い時間が経ったとき「時間の化粧」の恩恵を受け良い具合に寂びることが出来るのは天然の素材しかありえないでしょう。

菊

そしてこの美しい絵具はわが国では1000年以上の昔から”普通”に使われてきました。
技法としては実に天平・平安の昔から大きく変わる事なく、もちろん保存環境にもよりますが平安初期の仏画などでも艶やかな色彩が良く残っている例もあります。  しかし現代では技術の進歩研究により手軽で安価・美しい彩色材料が開発されており、なかなか”普通”に目にするという事は少ないかも知れません。

”普通”に目にする事が少ない理由として、日本画の絵具が高価であるという事よりも”技術的に手間がかかる”という事のほうがその大きな理由かも知れません。
不思議なもので高価な絵具を使えば美しい発色をするかと言えば「そうでもない」のがこの絵具の面倒くさくもあり愛おしい所です。  下地の処理、下塗り、筆運びなど基礎の事柄を一つづつ丁寧にやっていかないと、なかなか思ったような発色をしてくれないのです。

奈良・平安の名も無き絵師も、煌びやかな桃山・元禄の巨人達も根本的な技法は現代私が行っている事と何ら変わりありません1000年前の先達もこうして絵具を練っていたのです。 そんな昔からの材料・技法で彩色をしています。

作家としての造形の探究はもちろん職人としての素材の理解も深め、作家として職人として二つの立場で社寺荘厳に取り組んで行きます。